この番組はNHKがバレーファンに強いた「踏み絵」である。


>眞鍋は、「アタッカーの特徴を生かすトス」という言い方をした。


眞鍋のトスはただひたすら打ちやすいトスでしかなかった。言ってしまえばアタッカー任せなのである。だから結果としてアタッカーが特徴を活かせてたわけだな。「オレは理想のトスを上げてたよ」ってことか。


>竹下は、「アタッカーに選択肢を与える打ちやすいトス」と言った。


自分の欠点がよくおわかりのようでwww。竹下の曲芸まがいのトスは常にボールがでたらめに回転しているし、現実に特定のアタッカーにしか打ちこなせてねぇ。わかっちゃいるけどやめらんねーのか。
結局はこれもアタッカー任せのトスということで、言い方はちがうが眞鍋と同じだ。


>中田は、「これしかない、という攻撃をアタッカーに打たせるトス」というような表現だった。


わははは、これが竹下のトスである。中田の場合、特に先輩アタッカーに囲まれてた頃は、自分の意思じゃなくアタッカーの注文の通りにセットしてたわけだから、それが理想になっちまったんだろ。セッターとアタッカーの意思が一致したトスって意味かも知れねーけどな。


>面白いのは、3人のセッターのトスを打ってきたアタッカーが、それぞれに「止まってみえる」という表現を使ったことである。


ばーか。これこそ言葉じゃなく「アインシュタインの眼」でおなじみのスーパースローで検証すべきなんじゃねーか。
まず1点。まぎれもなくアタッカーの目線であること。自分のスパイクの軌道とトスの軌道が一点でしか交わらないのだから、その位置で手とボールが出会うということを「止まる」と表現したに過ぎない。打つのは一瞬だからである。


2点目は放物線のハナシ。ボールは放物線の頂点で縦移動の速度が0m/sになる。まちがいなく「止まる」のだ。ダイエーや久光、パイオニアでは当たり前にトスの頂点でクイックを打ってた。10年も前からだ。そういうスパイクを打たせるためにもセッターの身長が高いほうが有利になるのではなかったか。

(ってかNHKのこの手の番組ってセリンジャー親子を蔑ろにしてばっかだな)


>トスを何時間も上げ続けていると、腕が上がらないほどに疲れてくる。そうなると余計な力が入らず、指先まで使う感覚をつかめ、柔らかい良いトスが上がるという。


半分気を失ってからが、本当の稽古といったのは貴乃花だったか。最近になって誰もが言うようになったなwwww


>彼女はその苦い経験を機会に、トスが変わった、優しくなったと言われているようだが、本人は今も現役であり特に自分でそのことを考えたりはしないそうだ。しかし竹下は、間違いなくその経験を糧に成長していると思う。


竹下がキチンと成長したのは眞鍋が監督になってからだろーが。もしくはヨンギョンと出会ってからだ。でなきゃアテネでそうやって指摘されてるはずだ。


>中田は大きな故障から復活した選手。故障がなければバルセロナ五輪まで続けることもなかっただろうと振り返った。


ふん、こんなのはセッターの特集と何の関係も深みもねー。故障するまでは半人前だったみたいな取り上げ方は絶対に良くない。


>日本の恒常的な課題は「身長の低さ」である。だから日本は歴史的にコンビバレーを追求し、次々と新しいプレーを生み出してきた。


これもウソ。日本の「判官贔屓」という文化がそうさせているだけ。柔能く剛を制する夢を見続けてるに過ぎない。


>90年代以降、「リードブロック」という新しいブロックシステムが生まれ、日本バレーは苦しんだが、そこを乗り越える戦いを続けている。


なんで苦しんだんだよ。チビが打点の低いスパイクを量産させてブロックにぶつけ続けてるからだろ。


>そして近年は、データを駆使した「IDバレー」の時代。


これも前の監督がゆーとったやないけ。


>それでも眞鍋監督が言っていた。スポーツにおいては、データも大事だけど、それ以上に「絶対勝つ」という気持ちが必要で、データには見えない精神力とかチームの結束が勝負を左右する。


結局そこかい!鶴田とコンセンサスばっちり取れてんじゃねーかwww


>何かこう、深いなあ・・・と思った。


あ、コイツあっけなく踏みやがったwwwww